2014年08月11日

陶祖李参平359回忌

今日は初代李参平の359回忌。

10時より菩提寺である、「龍泉寺」にて法要が行われています。



李参平は文禄慶長の役で、鍋島直茂に協力し、戦の後は一族みんなで日本に渡ってきたといわれています。
強制連行とはちょっと違うです。
なぜなら、李参平は佐賀に来てから武士の待遇を受けています。
また、かなり自由に過ごせていたようです。
初めは佐賀城下に住んでいたようですが、のちに多久長門守に預けられ、そこで築窯したそうです。
ただ、良い磁石がなかったため、磁器製造に適した石を探すために鍋島藩内を探しまわったとのこと。
そして見つかったのが有田泉山の磁石でした。


ただ、有田には当時、閉山したばかりの金山があったとか。
金が取れるところの近くで良質の磁石が取れると言う事を知っていた李参平一族は、大方の目安として有田の事は分かっていたのかもしれませんね。

また佐賀県内には唐津焼と言う有名な土物のやきものもあります。
これは佐賀県の唐津市周辺で焼かれている焼き物で、お茶の世界では
「一楽、二萩、三唐津」
と言われているように、有田とは違い、わびさびの世界の器です。

この唐津で焼き物を焼いていた陶工たちの一部がが現在ARITA PORCELAIN LABの本社工場の近辺で焼いていたも言われています。
また、有田にある唐船城は松浦党の居城の一つでした。彼らの本拠地は平戸。中国から平戸を経て陶工が移り住み、焼き物を焼いていた。有田は400年前は色んな系統の技術を持った陶工がいて、その噂は多久にいた李参平の耳にも届いていたのではないでしょうか?

李参平の戒名は「月窓浄心居士」
と言います。
窓から月を眺め、故郷を思う姿が人々にとって印象深いものだったのかもしれませんね。

そうそう、こんな説もあります。
たくさんの陶工が日本に渡ってきた中でなぜに李参平だけが名が残ったのか?
それは李参平が通訳的な役割を果たし、朝鮮陶工たちの代表として鍋島家をはじめとする日本人との窓口になったのではないか?だからこそ日本人が描いた文書には李参平の名前だけが残った。
と言うのも、李参平は幼い時に日本に来ています。幼かったからこそ、日本語と韓国語の両方を理解するようになったため、実際の朝鮮人陶工のリーダーの通訳をし、最終的に自らがリーダーになったと。

李参平の子孫と言われる金ヶ江家以外にも深海家、家永家など朝鮮陶工陶工を祖とする家が今でも有田には沢山あります。
そうした彼らの祖先は新天地を目指して、一族の繁栄を願って日本へ渡ってきたのではないでしょうか?

2016年、有田焼創業400年を迎えます。朝鮮人陶工が有田に来て本当に良かったと思える400周年を迎えたいですね。

龍泉寺の境内。玉砂利が綺麗に整えられていますね。

 

 

 

 

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Posted by On y Va! at 14:41 | Comments(0) | アリタポーセリンラボ
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